皆さん、こんにちは、こんばんは、代表の前田です。
実は先週末、西明石に引越しをしました!(会社ではなく、個人の方です)
引越しはこれで5回目。
もう慣れたし、すんなり終わるだろうと高を括っていたら、今回は普通の引越しとは異なる事があり、全く簡単ではありませんでした。
これまでは実家にて親と同居しており、二年前までは、岸和田駅近くの賃貸マンションで生活していました。
双子が産まれることに備えて実家に移った訳ですが、実家の部屋をあけてもらったり、家具などの配置替えが必要だったので、トランクルームに家財道具や大量のだんじりのビデオや(笑)、思い出の品などを一時的に預けることにしました。
また、自分達の家財道具は妻の実家(神戸市西区)に運び、次に実家を出るときまで置いておくことに。
ずっと同居するつもりはなかったので。
冷蔵庫や本棚、テーブルなど、大きな家具は、トランクルームに空きがあったのでテトリスのようにして詰め込みました。(これも大変でした。。。)
二年前の実家への引っ越しは、近距離だったし自分たちで行いました。何日も掛けて少しずつ物を移していくことが出来たので良かったのですが、今回の引越しは、流石に引越し業者にお願いしました。
そして11月17日土曜日。引越し当日。
トランクルームに集合してまず中身を全部出して引越しトラックに積んでもらい、実家に移動。実家に戻すものをトラックから降ろして、持っていくものをトラックに積み込んでいきます。実家の家具の配置を引越し業者さんに元に戻してもらって、実家の方はこれで完了。
引越し業者さんの手際の良さに感心し、ほとんど見ているだけでした。笑
次に妻の実家に寄って、残りの荷物をトラックに積むとトラックが荷物でパンパンになっていました。
荷物の容量見積もりがピッタシで、改めて引越し業者さんの段取りの良さに感服しました。プロの仕事ってすごいね~
子供達を妻の実家に預けて、新居へ移動。
あとはひたすら荷降ろしです。がらんとした新居にダンボールがどんどん運び込まれます。
1時間程度で完了し、引越しトラックは帰っていきました。
あとは、自分たちの仕事。荷物の整理と家財道具の配置に取り掛かるとこに。
これで以前の生活に戻るはず!と思っていましたが、いざダンボールを開封して、自分達の荷物を二年ぶりに目の当たりにすると「こんなん、あったなー」と存在をすっかり忘れていた物ばかりで、まるで玉手箱の様でした。
その中でも「これ、もうあかんわ」と劣化して使えなくなっているものがありますし、あると思っていたパソコンデスクが、実は捨てていたとか、とにかく記憶があやふやなので、まずはダンボールを全部開けていって、自分達の所有物を把握することから始める、みたいな状態になりました。
午後4時には切り上げて、子供のお風呂と食事と寝かしつけをしないといけないので、妻の実家に戻りました。
それだけで土曜日は終わってしまい、1割ぐらいしか片づけられませんでした。
これではまずいと、その晩に妻と二人で残作業を紙に書き出していって、優先度を付けて状タスクリストを作りました。
早急に浦島太郎状態から抜け出さないと!
翌日の日曜日、子供達の朝ごはんを済ませて新居へ向かう車中で妻とタスクリストを見ながら細かい打ち合わせをしました。
その甲斐あって、日曜夕方には何とか7割ほど片付いたな、という感触になり、妻の実家に戻って子供達の寝かしつけの手前まで進めて、そこでクルマに乗せて新居に移動して寝かせました。
その後、片づけを再開し、深夜までかかって何とか全部のダンボールを処理し終えて、9割程度は終わったかなというところまで漕ぎ着けました。
もうホントに大変で、土日は仕事さながらの集中力を発揮していたように思います。
下手すると新居でのスタートが出来ず、来週まで妻の実家に泊り込みとか、炎上プロジェクトになっていたかもしれません。笑
人間って二年も経つと元の生活に戻ろうと思っても中々大変なんですね。
ところで、3歳9ヶ月になった娘が二年ぶりにルンバを見て
「あ、あれ見た事あるで!怖いから、走って逃げてたねん」
と言ったのには驚きました。
ちなみに当時の様子(ニュースレター第8号の付録ムービー)↓
そんなに小さい頃の記憶が本当にあるのか、適当に言ったのか、真相は分かりませんが、それでも初めて見た物に対して適当にそんなことを言う子ではないので、何か思い出して言ったんだろうと思います。
人間の記憶って(色んな意味で)すごいなぁ。
という訳で今回はこの辺で。
また新生活に慣れてきたらなにか書きます!